「普通」の生活ではないけれど

2月に息子の10歳の誕生日を迎えた。長かったような短かったような10年だった

思えば生後6か月半で息子がつかまり立ちをしたあの日から、「普通」からかけ離れた生活になった。気が付けば、周りの子ができているのにうちの息子にはできないことばかりが目立ち、母親同士でお互いの成長を楽しむこともできなくなっていた。良いのか悪いのか、今ではそんな状況にも慣れてきたので、色んな母親に我が子自慢をされても前ほど気にすることはなくなった。しかし、うちの子が発達障害かもしれないのを知ってるだけで、詳しいことはわからないくせに、「今後、何か才能が芽生えるかもしれないね。」なんて言う親には、一発ぶん殴ってやろうかと思うことはあるが。

この10年で辛かったことは、息子を受け入れ拒否した教育関係従事者が多かったこと。人を教育する立場の人間が、自分に都合の良い子どもだけを選別して受け入れて何が教育だ。発達障害の子どもを邪魔者扱いして、「差別をなくそう」などと子ども達によく言えるものだ。弱い立場の人間を一番バカにしているのは、こういう教育者達だ。いじめが起こるのも、こういう教育者たちが「できないこと」は誰にでもあるのに、多くの子ども達の前でそれを非難したり、努力が足りないと言うからだ。まぁ、優等生と呼ばれて生きてきて、一般企業よりも優遇された環境で働く教育者達に、できない人間の気持ちなどわかるわけがないだろう。厳しく教育者批判をしたが、すべての先生がこういう人ではないのでご安心を。

一方息子は、相変わらず面倒なことはやらないので、毎日のように私と「宿題は?」、「ない。」、「ほんまやろうな?」の会話の繰り返し。こんなことがいつまで続くことやら。

冒頭に書いた「普通」からかけ離れた生活だが、「普通」でないことは苦労が多く、嫌なことも多いけど、「普通」じゃなかったから素敵な人に出会えた、「普通」じゃなかったから経験できて自分自身の勉強になったこともある。こんなこと書いてもただの負け惜しみか。

でも、素敵な人に出会えたのは本当です。

 

(緑:小4男児の母 2013.3.10 番外編)

 

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