むやみに診断名を付けられたくない!

 夏休み前は、私が嫌いな面談の時期。以前ほどではないが、やはり気が重い。

最近の息子は、学校の自転車教室で補助輪なしの自転車を先生に支えてもらって乗り、その日の帰宅後に自分から練習すると言ってすぐに乗れるようになった。今まで私は息子に無理やり練習させず、乗れないまま放置してあきらめていたので嬉しかった。先生にはありがたい気持ちでいっぱいだなぁ・・・そんなことを考えながら面談へ行った。
 学校での息子は、授業への意欲的な態度はほとんどなく、テストでわからなかったところに「しらん」と書き、宿題をごまかしてやっていないところが多々あり、勉強ができない訳ではないのに先生への印象は悪い。でも、「先生のお手伝い係」としてほぼ毎日職員室へ行き、仕事がないか先生に尋ねていたらしい。そんな一面もあるんだなぁと感心した。
 話をしていく中で、先生に医師から発達障害の診断を受けているのか聞かれたが、私の答えは「受けていません。」だ。そういえば最初に息子の話をした時に、そういった内容を伝えていなかったかも・・・。先生には診断を受けた方がいいと言われた。学校にとっては診断名が明確であった方が都合がいいのはわかっているが、最後まで素直に返事をできず面談は終わった。
 過去に発達検査、知能検査、心理検査などを受けて、アスペルガー症候群とADHD(注意欠陥多動性障害)ではないかということがわかったが、私はそれを受け止めるだけで精一杯だった。総合教育センターで心理検査を受けた後に相談員から、「病院へ行って診断を受けた方がいい。」と言われたが、医師の診断を受けている人の話で、「周りに理解してもらって、色んな支援を得られてよかった。」というのを全く聞いたことがないし、診断を受けても知能に遅れがないので障害者手帳はもらえない・・・だったら何のための診断なのかと思うと、私はとても行く気持ちにはなれなかった。診断名だけで息子を判断され、偏見を持たれるのは絶対に嫌だったし、後悔するだけだと思った。医師の診断を受けても、学校の先生や周囲の人に息子の特性を説明するのはこれからもわたしがやらなければならないし、誰も助けてはくれない。
 こんなことを書いていると、「本当は障害だといわれれるのが怖いから行かないんでしょう?」と思う人がいると思う。その通り、怖いです。私にも息子と同じようなところがあるので、私のせいで息子がこんな風に生まれてきたことに責任を感じながら、診断名まで背負って息子と一緒に生きて行けるのか・・・、息子の問題点をすべて障害のせいにしてしまわないか・・・、私自身の息子を見る目が変わってしまわないか・・・、こんなことを考えて毎日を過ごすくらいなら、今の曖昧なままの方がよっぽどいい。だからこのエッセイのタイトルには、「!?」を付けた。
 発達障害は見えない障害とも言われ、誤解も多く周囲の理解はなかなか進まない。私も今まで色んな人に、息子が発達障害であるのはほぼ間違いないという話をしてきたが、聞いた人の反応はさまざまだった。知ってもらえるだけでもありがたい・・・今の世の中ではそう思って生きて行くしかない。

(緑:小3男児の母 2011.8.25 vol.12)

 

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